学校のいじめは絶対になくならない。

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最近なぜか「いじめ」のことをよく考えています。

いじめをなくそうとする取り組みに意味のなさを感じるからなんですけど、そう思う根拠を今日は書こうかと。

 

関係していない人には「いじめ」は理解できない

最近学校などでも「いじめ」について考える機会があるのでしょうけど、「いじめ」って経験したことがないと得体の知れないものですよ。

経験といっても、いじられるだけではなくていじめる側も含みます。

傍観者なんていじめに加担すらしてないからまったく「いじめ」の実態は掴めてませんよ。そんな彼らがいじめのことについて話し合って、なんの解決にもなりませんし、いざいじめの現場に立ち会っても何もできないことは明白です。

本当に「いじめ」を理解し、解決策を考えたいのであれば「いじめ」に関係したことのある人を連れてくるべきです。

どちらも経験したことのあるぼくからいわせてもらえば、関係もしてない人が話し合っても机上の空論にしかなりません。さっさとやめましょう。時間の無駄です。

そんなんで「いじめ」がなくなるのであれば、すでにこの問題は解決しているはずです。

 

比較しようとする日本の文化

「いじめ」の原因はだいたいこれでしょうね。

「いじめ」を本当に根絶したいなら、日本の比較文化を取り払うべきです。ということは、日本社会を一新しないと「いじめ」はなくならないということです。

ぼくはいじめは「いじめている側 > いじめられている側」という比較が原因だと思うんですよ。いじめている側は、他の分野において誰かより優位に立つことがないから、誰かをいじめることでその対象よりも優位に立とうとするということです。

「いじめ」ってだいたいこんな簡単な理由からしか起こりません。自分より勉強していないのにテストの点数が高いヤツのことを妬むとか、自分よりも運動ができるからとかそんな小さなことから「いじめ」は生まれています。

個性を活かす教育とか何年か前から言ってますが、個性を活かすって結局「比較しない」ということになるんです。そして、個性を活かした教育の最終着地点が「いじめの根絶」です。

ということは、今の学力至上主義の日本の教育ではいつまでたっても「いじめ」はなくなりません。話し合うまでもありません。

 

さいごに

子どもって大人のやってることしかやりません。

「学校のいじめ」がなくならないのは、「大人社会のいじめ」がなくならないからです。

父親が母親をいじめている、テレビで司会者が他の出演者をいじめている。そんな些細なことが子ども社会のいじめを生んでいることは間違いないです。

本当にいじめを根絶するためには、大人社会を一新する必要がありそうですね。

というか一回日本を破壊する必要があるでしょう。無駄な議論をしていないで、無駄な慣習に縛られないで早く日本を一新しましょう。

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