「生きる意味がわからない…」と悩んでいたけど、わからなくてもいいやって思えてちょっと楽になった

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「生きる意味がわからない…」と悩んで、答えを求めていた時期がありました。答えがないと不安で不安で仕方がない時期が。

でも、最近は「生きる意味がわかる」ってことがなんとなく胡散臭くて、怖くて、人間味を感じないような気がしています。というのも、わかるってそんなに簡単なことじゃないと思うんです。簡単にわかってしまうようなことならそもそも悩まないとも思いますし。

「生きる意味がわからない…」と悩むことは決してダメなことではないですし、人間として普通だと思います。でも、たぶん答えは出ないですし、ある程度考えたら「わからなくてもいいかな」って思うことも大切なんじゃないかと思います。今回はそんなことについて。

どんなときに「生きる意味ってなんだろう?」と悩むんだろう?

僕を含め多くの人は、どんなときに「生きる意味ってなんだろう?」って悩むのでしょうか?

これは僕の経験論ですが、悩むときって壁にぶつかっているときや上手くいかないときなんじゃないかと思います。たとえば、

  • 受験に落ちた
  • 試合でミスをしてしまった
  • 仕事で失敗して怒られた
  • 彼女に失礼なことをしてしまった
  • 夫婦喧嘩をした
  • 病気になった
  • 事故を起こしてしまった
  • 借金を背負ってしまった

などなど、挙げれば切りがないですが、悩むときはたいてい何か物事が思い通りにならなかったり、上手くいかないときなような気がします。ただ、上手くいかないというよりも、それが続く、積み重なるときという感じでしょうか?

一回や二回の失敗や挫折なら、「次頑張ればいいや!」「またがんばろう!」って思えるんですが、その失敗や挫折が積み重なると、次第に「なんで俺だけ…」「私って才能あるの…?」と悩み方が変わってくるんですよね。それを誰かに打ち明けたり、なんとか乗り越えられればいいんですが、その悩みを抱え込んだり、考え込んだりすると「俺って何で生きてるの…?」「私の生きる意味ってなんだろう…?」と悩みが深くなるんです。

ようするに、普段は対したことがない悩みでも、それが積み重なってしまうと悩みも過剰になるということです。

人生が上手くいっている人は「生きる意味」を知っているのだろうか?

逆に、上手くいっている人は「生きる意味」を知っているのか?というとそうでもない気がしています。もちろん、生きる意味なんて哲学的なことについて悩んでいるかはわかりませんし、悩んでいないけど考えてはいるという人もいるかもしれません。

ただ、わかっているのは上手くいっている人でも、壁にぶつかっていない人でも、その人の「生きる意味」は知らないということです。

生きる意味がわかったとして、どうやって正しいと判断するのか?

もし、「俺(私)は自分が生きる意味を知ってる!」なんていう人がいれば、それはそれで僕はちょっと怖いです。怖いというよりも身構えてしまうと思います。「この人大丈夫か…?」と。

というのも、なぜそんなことがわかるのかがわからないからです。

もしかしたら、生きる意味はあるのかもしれません。生きているんだから、それなりに意味はあるでしょうし、使命や目的もあるでしょう。でも、誰が、どのように、いつ、どこでその生きる意味が正しいと判断するんでしょうか?

そう考えると、生きる意味なんてあってないようなもので、もし自信を持って「私は生きる意味を知ってる!」なんていう人いれば、ちょっと怪しくなりますよね。まぁ怪しいと思うかは人それぞれですが、僕はちょっと身構えます。離れていく可能性すらあります(笑)

生きる意味がわかったところで何かが変わるわけではない

上手くいかなかったり、壁にぶつかったりすると「生きる意味ってなんだろう…?」って悩むんですが、その答えが見つかったところで何かが変わるわけではないんですよね。

たしかにわかったらわかったで、その生きる意味に向かってひた走ればいいのかもしれないですが、それが今の人生とかけ離れてたらどうするんでしょう?また、それが今からでは叶わなかったり、自分が毛嫌いしてきたことだったらどうするんでしょうか?

その人の生きる意味がわかったところで、お金が振ってくるわけでも、新しい職のオファーがくるわけでも、何かで賞をもらえるわけでもないんですよね。

もしかしたら、わかったことで余計に自分の首を絞めることになるかもしれません。「なんでもっと早くにわからなかったんだ…」「あのときあの道に進んでおけば…」「親のいうことをちゃんと聞いておけば良かった…」と後悔するかもしれません。

自分の生きる意味について悩む気持ちも、探し出したい気持ちもわかりますが、わかったところで何かが好転するわけではないとわかれば、別にどうでも良いと思わないですか?

それよりも今を生きればいいんじゃないですかね?もし、辛くてどうしようもなければ、一度その場から離れてみたり、できるなら逃げてみたり、誰かに相談してみれば良いんじゃないですかね?考えてもわからないことをいつまで考えても、答えは見つかりませんし、その答えが正しいともわかりません。ならいっそ、開き直って「わかんなくてもいいや」って思えたら楽になりませんかね(笑)

生きる意味はわかんないけど、生きてきたことに意味はあるよね?

僕は生きる意味は正直わかりませんし、これまで書いてきた通りわかったところで…という感じです。

でも、これまで生きてきたことや、今生きていることには何かしら意味はあるんじゃないかと思うんですよね。

もし、これまでの人生が辛い人生だった人でも、その中で少なからず楽しいこともあったでしょうし、生きているだけでも親はうれしかったんじゃないですかね?僕も人生を振り返って、辛いことの連続だったなーと思いますが、その中に少しでもうれしいことや楽しいことがあったなーって思えたら、自分が生きてきた意味はあるし、そこに自分が存在していた証は残せたのかなーって思えます。

そして、今に目を向ければ、自分を必要としてくれる人はどこかに必ずいますし、自分のことを見てくれてる人は必ずどこかにいるんですよね。それは仕事関係の人かもしれませんし、友人や家族かもしれません。でも、今生きてるってことには、たぶん何かしら意味があるんですよ。今いなくなればきっと誰かが悲しむ。そう思えれば、今生きてる意味はあるんじゃないですかね?

安易な「わかった」よりも、正直な「わからない」の方が人間味を感じる

生きる意味にしても、勉強にしてもそうなんですが、安易に「わかった!」なんて言えるのって結構危うく感じます。それはどこか人間離れしているような感じがして、答えがないとダメだと言われている気がして、ちょっと怖さも感じます。

もちろん、しっかり考え抜いて、その答えの裏付けがあって、「わかった!」と自信を持って言えるなら別です。

でもそうではなく、なんとなく「わかった」と言える人からは、なぜだろう人間味を感じません。それよりも、正直に「わかりません」と言える方が人間味を感じます。

僕は、中身のない、人間味のない、安易な「わかった」を言える人間よりも、恥ずかしくても正直に「わかりません」と言える人間になりたいです。生きる意味なんて正直わからなくていいんですよ。わからないからこそ、ふとしたときに悩むわけです。それで良いんじゃないですかね?その方が人間らしくて。

さいごに

生きる意味がわからなくて悩んでいました。でも、生きる意味なんてわかりっこないんですよね(笑)わからないことを考えて、どんどんわからなくなって、堂々巡りして自分の首を絞めるくらいなら、「わかんなくていいや!(笑)」って思えたら少し楽になりました。

生まれてきた意味、使命、役割、目的、目標は、たしかにあるのかもしれません。でも、そんなことがわかっても人生はたぶん変わらない。だったら、わからなくてもいいんじゃないですかね?(笑)

まぁ適当な人間の言うことなので、適当に聞き流しておいてください(笑)

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