見返りを求めないことの難しさと大切さとそのために必要なこと

僕には「何かをしてあげたら、何かをしてもらうのが当然」と、何かをする度に相手からnお見返りを求めるような考えがありました。

僕と同じように誰かに何かをしてあげたら、ついつい見返りを求めてしまうような人は少なくないと思います。

でも、いつからか見返りを求めた行動には中身がないよなぁーと思うようになったんです。中身がないというのは、自己満足度が低いというか、やってよかったって感覚が少ないという感じです。逆に、見返りを求めずに何かしてあげたときって清々しくて、気持ちがいいんですよね。

今回は、見返りを求めずに行動することの難しさと大切さ、そしてそのために必要なことについて考えてみようと思います。

心の中でつい見返りを求めてしまっている…

「見返りなんて求めていない」って口ではいうものの、心の中ではつい「もしかしたら…(何か見返りがあるかもしれない)」と思っているのが人間です。このつい求めてしまうというのが、人間の悪いクセです。

かくいう僕も意識していないと、「なんでこの前やってあげたのに、僕には何もないんだ!」と思っていることがありますし、最悪の場合口に出てしまいます。人間の意志なんてそのくらい弱いものですし、見返りを求めるようにできているんだと思います。もしかしたら僕だけかもしれませんが(笑)

ただ、この見返りを求めてしまう姿勢が、行動の前にあるのか後ろにあるのかで、その行動の中身は違ってくるんじゃないかと思うんですよね。

見返りを求めた行動には中身がない!?

見返りを求めるにしても、見返りを求めて行動するのと、行動した後につい見返りを求めるのではちょっと違う気がしています。

見返りを求めて行動する場合、「こんなことしてもらえそうだろうから、このくらいやればいいよね」「何もしてもらえなさそうだから、あんまりやらなくてもいいかな」って感じで、見返りに応じて行動の質や量が決まると思うんですよ。この最たる例が給料に見合った仕事しかしないってことです。

もちろん給料をもらっている分の仕事をすることは当然ですが、それ以上するのかその分しかしないのかでは周りからの評価や周りからの信頼は違うはずです。「もっと給料が上がれば仕事もちゃんとする」なんて人がいますが、そもそも給料以上の仕事もしていないのに、給料が上がるはずはありません。

一方、何かした後に見返りを求めるのは、「それなりのことをしたのに何で何もしてもらえないんだろう…」という切なさのような感覚からくるものだと思うんですよね。これは仕方がないものなので、自己満として処理するか、見返りをしてもらう程のことはしてないって割り切るしかないと思います。

でも、この後から見返りを求めるときの行動って、見返りありきではないので見返りに応じたものではないんですよね。もちろん適切な行動なのかどうかは相手次第ですが、行動する側としては相手を助けてあげたい、何かしてあげたいって気持ちが強いので、見返りありきの行動と比べれば中身がある行動なんじゃないかと思います。

見返りは忘れた頃にやってくる

見返りを求めた行動には中身がないですし、見返りなんて求めずに行動することに越したことはないんですが、見返りってなんだかんだで自分のところに巡り巡ってくるんですよね。それも何かしてあげた相手から直接的ではなくて、別の誰かから来たりするので不思議です。もちろん直接のときもありますが、かなり稀なんじゃないかと思いますね。

だからといって「いつか見返りはやってくるし、やるか!」ではダメなんですよね(笑)

それでは直接的に見返りを求めて行動するのと変わりありません。なので、今はまだ見返りをもらえるようなことはしてないと思って行動するのが良いんじゃないかと思います。あとは、これまでに自分がしてもらってきたことへの恩返しだと思ってやることですね。

見返りを求めず行動するために必要な4つのこと

これまでも少し書いていたんですが、ここでは見返りを求めずに行動するにあたって必要なことについて。

すべての行動を自己満足を高めるためだと思って行動する

誰かに何かをしてあげるにしても、誰かを助けてあげるにしても、自己満足のためにやれば良いんです。

自己満足のために行動すれば、別に誰かから見返りをもらわなくたって、満足できますし、見返りが巡ってこればそれはそれで嬉しいですよね。

何かしてあげたからといって見返りを求めるんじゃなくて、自分のため、自分の価値を高めるため、自己満足のためってくらいに思っていれば、行動に移しやすくないですかね?

僕はさらっと「これしましょうか?」とか「席どうぞ」って声をかけることできて実際に行動に移せると、なんだか清々しい気持ちになれるので、別に見返りがどうこうというよりも、自己満足云々で動いていますね(笑)

これまでの恩返しだと思って行動する

見返りを求める前に、これまで自分がしてもらったことを考えてみてください。そうすると、今からすることはこれまでの恩返しだと思って行動できませんか?

僕の人生は助けてもらうことの方が多かったので、見返りを求めるなんて畏れ多くてできません。なので、何かするとき、誰かを助けるときは、これまでの恩返しだと思ってやっています。恩返しと思うと、行動にも身が入ります。適当にやれば相手に失礼ですし、相手のこれまでの行為にも泥を塗ることになります。そんな適当なことはできません。

恩返しだからといって、恩をもらって人に直接恩を返す必要もなくて(もちろんそれも必要ですが)、他の誰かでも良いと思うんですよね。そうすれば、その他の誰かも誰かに恩を返してくれるかもしれませんし、その恩が最初に恩をくれた人に巡っていくかもしれませんから。

見返りをもらう程度のことをしていないと思って行動する

この考え方も結構大事だと思います。

人間自分の行動を誇張して考えがちです。自分のやってあげたことを大したことだと思っているから、相手からも同じような見返りを求めてしまう。でも、一人の人間ができることなんてそう大したことではありませんよね。もちろん、中にはスーパースターみたいな人もいますけど、その人でもできることには限度があります。

なので、まずは自分がやってることなんて大したことがない、見返りを求めるなんて畏れ多いくらいの気持ちで行動しましょう。ただ大したことやってないからといって、適当にやるとは意味が違います。手を抜いた手助けや行動なんて誰も求めていません。自分にできることを精一杯やることが結局大事なんだと思います。

助けるのは当然

誰かを助けるのは当然と思えば、そもそも見返りなんて求めません。

人はどこかで助けられていますし、どこかで誰かに支えられて生きています。なので、誰かを助けるのは至極当然のことなんですよね。お年寄りに席を譲る。重たい荷物を持っていれば一緒に運んであげる。仕事で音を上げていれば助けてあげる。どんなことでもそれが当然と思えば、見返りなんて考えもしませんよね。

さいごに

見返りを求めないことの難しさや大切さ、そのために必要なことについて書いてきました。

正直、僕はまだまだ未熟なので、つい「何もないのか…」と思ってしまうことがあります。でも、そう思うときこそ、「自分はまだまだだ」「大したことやってないじゃん!」「相手が喜んでくれたらそれでいいか」と思うようにしています。そうすれば、次にも繋がりますし、見栄を張ろうともしません。もちろんイラッともしません。

目の前の損得勘定ではなくて、自分の価値を高めたり、自己満足度を高めるために、行動してみるのも意外と良いもんですよ。

それでは。

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