【一病息災という生き方】病気になったからこそ今の僕があるのかもしれない

健康な人からしたら、病気になることは人生の終わりのように感じるかもしれません。

でも、病気って付き合い方次第、考え方次第では、それほど悪くはないんじゃないかと思うんですよね。病気だけを見るとたしかに辛いですが、人生を通して考えると、病気があるくらいの方が意外とちゃんとした生活をするんじゃないかと思うんですよ。

今回は、病気のある人生「一病息災」という考え方について少し考えてみようと思います。

一病息災とは?

そもそも「一病息災(いちびょうそくさい)」とはどんな意味かというと、

病気もなく健康な人よりも、一つぐらい持病があるほうが健康に気を配り、かえって長生きするということ。▽「息災」は健康であること、身にさわりのないこと。

(引用 goo辞書「一病息災」

こんな感じです。

何も病気になったことがない人よりも、病気になっている人の方が、食事や運動により気を使うから、健康的な生活が送れる。そして、中には定期的に病院に行って検査する人もいるから、他の病気の早期発見に繋がり、結果として、長く生きられるよねってことです。

「病気になんてなりたくなかった…」と悔やんだ過去

病気になってよかったとまではいかなくても、「病気になったからこそ今がある」と思えるようになったのはつい最近の話で、糖尿病と診断されたときは正直辛かったです。

「病気になんてなりたくなかった…」と何度悔やんだことか数えきれません。高校の入学試験も、大学の入学試験も、バイトのときも、就職活動のときも、就職してからも、どれだけ糖尿病という病気に苦しめられたかわかりません。

糖尿病は、いつも食事には気を遣わないといけないですし、血糖値が上がれば頭が痛くなり、眠たくもなり、のどが渇き、頻尿にもなります。周りから見ているよりも、辛くもどかしい病気に、何度ももがき苦しみました。

「なんで僕の人生はこんなにも辛いんだろう…」と消えたくなり、死にたくなることもありました。

もし病気になっていなかったら…?

でも、ふとこんなことが頭をよぎりました。

「もし、糖尿病になっていなかったら、今の自分はあったのだろうか?」と。

糖尿病と診断される前の僕は、毎日三食の食事以外にもごはんやお菓子を食べ、ジュースを飲み、運動などろくにしないだだのデブでした。そして、糖尿病と診断された時点では、糖尿病の悪化により、かなり痩せていました。

そして、糖尿病と診断されてからは、食事制限はもちろんのこと、運動の習慣化や血糖値や体重を測るなど自分の体調を管理を徹底しています。おかげで今では、血糖値も落ち着き、健康的な生活を送っています。

もし、あのとき病気にならなくても、暴飲暴食を続け、運動もしない日々を過ごしていたなら、もっと太り、どこでも働けず、ただ家で寝ているだけのデブだったかもしれません。

そう考えるだけでも少しゾッとします。

病気になったからこそ身につけられたもの

病気にはならないに越したことはありません。ですが、僕は、病気にならなかったら身につけていないことってあるよなーと感じることがあります。たとえば、

  • 病気についての知識(原因、治療法、合併症など)
  • 医療に対する知識(予防接種、検査、薬のことなど)
  • 運動習慣
  • 食事に関する知識(栄養素、食べ方、ファストフードの怖さなど)
  • 病気に対する精神面での免疫

という感じです。正直病気にならなくても、身につくものだとも思います。ですが、身につけよう、自分のものにしようとするためには、それを職業とするのか、趣味にするか、それとも犠牲が伴うことが必要だと思っています。そして、僕は自分の健康を犠牲にしたからこそ、上記のことが身についたんだと思うんですよ。

医者や薬剤師などどうしても身につけないといけない場合を除いて、健康な状態で病気について学ぼうとは思いません。ましてや、20代で食事や運動に気を使っている人なんてそういないと思います。

ある程度年齢を重ねてから、生活リズムを変えることや、新しく何かをはじめることはかなり大変なことです。その点では、若い時点で自分の生活を改めることができ、自分の病気について身につけられたことは、非常に良かったんじゃないかと思っています。

持病があるからこそ自分を大切にできた

持病があるということは、それだけ無理ができないとも言えます。食生活の乱れ、運動不足、睡眠不足などのあらゆる無理が、肉体的に、そして精神的にも疲労感を与えます。そのため、できる限り生活リズムは崩さず、運動不足や寝不足などにもならないように心がけないといけません。

正直10代、20代にして無理ができないということは少々キツいものがありました。周りの人は、毎日のように飲み歩き、食べ歩き、仕事でも夜遅くまでがんばることができ、睡眠不足でもなんとかなっている。でも、僕にはそれができない。これは正直辛く、もどかしかったです。

もちろん無理をすることが美徳ではありません。しなくていいのであれば、無理はしないに越したことはありません。でも、正直無理をしてでもやりたいこと、やり遂げたいことはありました。

でも、無理をしなかった分、自分を守ること、自分を大切にすることができたんじゃないかと思います。必要以上に自分を追い込むこともせず、カラダを労って飲み過ぎたり食べ過ぎたりもせず、カラダを痛めずに済んだのは、やっぱり病気になったからだと思います。

病気も案外悪くない

病気になんてならない越したことはありません。病気になることは、身体的な辛さや疲労感、時間的・金銭的負担などがありますが、それ以上に精神的な辛さが大きいです。この辛さは、個人だけのものではなく、家族や恋人などにも降り掛かります。

でも、病気になったからといって、すぐに死ぬわけではありません。病気や症状、進行度によっては、付き合い方や考え方次第で、病気を持たない人よりも健康的な生活を送れるようにもなるんじゃないかと思います。

結局、どうやって生きていくのかはその人次第ですが、僕は病気って案外悪いもんではないなーと思っています。

さいごに

一病息災。僕の人生を象徴するような言葉の一つです。

人生には様々なことが起こります。でも、その事自体には善悪はありません。その善悪を決めるのは本人で、前に進むのか留まるのか決めるのも本人です。

病気もその一つです。病気になってそれを引きずって生きていくのか?それを利用して、またそれを乗り越えて生きていくのか?は人それぞれです。

今の僕は病気なくしてはありえません。そして、病気になったからこそわかったことや身につけたこと、変わったことを考えれば、病気は僕の人生にとって必要な要素なんじゃないかと思うばかりです。

それでは。

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