【漫画】「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」の感想と諸々

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ちょっと前の漫画ですが、久々に心を振るわされる漫画に出会いました。

それは「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」です。

僕も志乃ちゃんと同じ立場だったからかもしれませんが、めちゃくちゃ感情輸入できました。その一方で、少し俯瞰的に見れたのは自分の「吃音症」に対する考え方が変わったからかもしれません。

あらすじ

“普通になれなくて ごめんなさい”

ヒリヒリ青春漫画のマエストロが贈る、
もどかしくて、でもそれだけじゃない、
疾走焦燥ガールズ・ストーリー。

“自分の名前が言えない”大島志乃。
そんな彼女にも、高校に入って初めての友達が出来た。
ぎこちなさ100%コミュニケーションが始まるーー。
いつも後から遅れて浮かぶ、ぴったりな言葉。
さて、青春は不器用なヤツにも光り輝く……のか?

(引用元 Amazon「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

「吃音症」という言葉が上手く出てこない症状をテーマにしています。吃音症とは、誰でも一度は経験がある「どもり」というのが、過剰な状態と思ってもらえればいいと思います。

そんな吃音症という悩みを抱えた志乃ちゃんが、自己紹介で名前を言えないところからストーリーは始まります。志乃ちゃんは自己紹介で笑われたことで、誰かとの話すことを拒んでしまいます。

そんな中で出会う一人の女の子・加代ちゃんに志乃ちゃんは心を開きだします。歌なら言葉が詰まらないことを知った加代ちゃんは、歌を志乃、ギターを加代という形で音楽をはじめようともちかけますが…。

吃音症は何が辛いのか?

かく言う僕も吃音症であり、小学校5年生の国語の音読のときに突然言葉が出てこなくなり、それ以降自己紹介や面接などさまざまな場面で悩まされています。

「吃音症」という症状を辛いと思うのはこんなときです。

  • 自分の名前が言いづらい
  • 人も名前や固有名詞も言いづらい
  • ふざけていると言われる
  • 緊張している訳でもなくどもる
  • 理解してもらいにくい
  • 練習や訓練で克服できる訳ではない
  • 一人の時はスラスラ話せるけど、人の前だとどもる
  • 電話で話すことが困難(電話予約、電話で名前を伝える時は特に)
  • 面接で伝えたいことが言えない

辛いと思う場面や状況は人それぞれですが、僕は上記のようなときに辛さを感じます。特に、吃音症の人に多いのが、志乃ちゃんもそうですが自分の名前を言いづらいということです。

自分の名前ってそんなに言う機会ある?って思うんですが、意外と多いんですよね。新学期や進学した時の自己紹介、バイトや就職のときの面接、就職したあとの自己紹介、電話で話すときなど、僕が吃音症で辛いと思っているからかわかりませんが、かなり多いです。

そして、自己紹介とともに辛いと感じるのは、緊張がなくなればどもらなくなると周りから思われてしまうことです。そのため、頻繁にどもると笑われたり、馬鹿にされることもよくあります。

誰でも緊張すればどもりますし、頭が真っ白になって言葉を忘れてしまうことはあります。ですが、吃音症は他の人のそれとはちょっと違うんですよね。話すことは頭ではちゃんとわかってますし、緊張もそれほどしていません。でも、言葉に詰まってしまうんです。だから、辛いんです。

僕は人前で話す前とか話し終わった後に汗をかいていますが、それは緊張だからではないんです。言葉が上手く出てくるかなという不安と焦り、そして、なんとかやり終えたという安堵なんですよね。なので、吃音症ではなく人が言葉に詰まるときのそれとはちょっと違うんです。

同情して欲しいわけではない

この作品で伝えたいのは、「吃音症だからといって同情して欲しいわけではない」ということではないかって思います。

認知はして欲しいです。理解もして欲しいです。ですが、吃音症という悩みに同情して欲しい訳ではないんですよね。「吃音症って可哀想…」って思って欲しいわけではないんです。

そうではなくて、「こんな人もいるんだ」って受け入れて欲しいだけなんです。

人には誰しも少なからずコンプレックスがありますよね?背が低いとか、髪の毛が薄いとか、声が変わっているとか、足が遅いとかいろいろあると思うんです。その一つとして、コンプレックスの一つとして、言葉が上手く出てこないっていう吃音症を受け入れて欲しいんです。

吃音症の人は吃音症であることをさらけ出して欲しい

志乃ちゃんは最後に自分の名前を言えないことをみんなの前で打ち明けます。僕はこの姿こそが吃音症の人の苦しみや辛さを軽減する一番の方法だと思いました。

たしかに自分の名前を言えないことや、言葉に詰まってしまって言いたいことが言えないというのは恥ずかしいですし、辛いです。でも、だからといって誰にも言わないのでは誰にも理解もされませんし、誰も助けてはくれません。

隠すことが自分を守ることになると思ってしまう気持ちもよくわかります。僕もずっと隠して、隠して、隠し通してきました。バレたら笑われるって思ってました。でも、それが一番自分の首を絞めてたんですよね。自分を守るつもりが自分を苦しめてたなんて皮肉なものです。

なので、さらけ出すことにしたんです。「僕は吃音症で、自分の名前を言うことが苦手で、こういうことも苦手なんです」って。そしたら、そしたらですよ。「これならできる?なら、これをやってくれる?」「できないなら言ってよー(笑)」「難しいことはやってあげるから」と、フォローしてくれる人がいたんですよね。

できないことをさらけ出すことってたしかに恥ずかしいです。でも、できないことをできないって言わずに隠してる方が、周りの人には迷惑だったんです。できないことや難しいことを周りに伝えることで、周りはフォローしてくれますし、できることを任せてくれるようになるんです。

吃音症だからといって何もかもできないわけではないんです。話すことは難しいのであれば、できることをすれば良いと思うんですよね。それには吃音症であることを周りに伝えることが大切なんです。

できないことは決してかっこ悪いことなんかじゃないです。むしろ、できないことを隠すこと、吃音症であることを隠すことの方がよっぽどかっこ悪いですし、自分の首を絞めるだけです。吃音症を隠すことで、恥ずかしい気持ちをしないで済むよりも、吃音症であることをさらけ出して自分の良さをどんどん引き出していった方が人生は楽しいです!

さいごに

吃音症をテーマにした作品を読むこと、観ることが増えたような気がします。それはただ単に「吃音症」が増えているとか、問題視されていると言うことではないと思います。たしかに、吃音症は辛い症状です。検査でわかるものでもなければ、誰でもどもることもあるので理解されにくい辛さがあります。

ですが、「吃音症」がテーマの作品が増えてきたのは、吃音症と向き合って、辛さとか恥ずかしさを感じても、それでも生きていこうという人が増えたことにあると思います。

できないことは誰にでもあります。でも、できないことばかりではないはずです。だからこそ、人間は一人では生きていけないんです。誰かと協力し合って、手を取り合って生きていかないといけないんですよ。自分のできないことは誰かに助けてもらう、そして、自分にできることはちゃんとやるってことが生きていく上では必要なんじゃないかって思いますね。

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