人生に絶望するとそのあと気分は楽になるという話

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あなたは人生に絶望していますか?

お金がなくなった…。膨れ上がった借金が返せなくなった…。リストラされた…。親と縁を切られた…。離婚したいと言われた…。家を追い出された…。病気になった…。事故を起こしてしまった…。誰かを殺してしまった…。などなど挙げれば切りがないほど、人生には絶望する機会が山ほどあります。

たしかに、人生に絶望するくらいの経験は人を苦しめ、最悪の場合は自殺に追い込むかもしれません。ですが、人生はそんなものだと思っています。つまり、絶望してからが人生だと。

そして、一度絶望を味わってしまえば、意外と楽に生きていけるんじゃないかって思っています。

今回は、人生に絶望した僕が人生に絶望しながらもなんとか楽しく生きられるようになってみて考えたことについて書いてみようと思います。

僕も人生に絶望した

僕は人生のどん底を味わい、そして、人生に絶望しました。

それは2015年の夏のこと。大学を卒業し、就職したその年に僕は人生のどん底を味わうことになります。就職活動は上手くいったとは言えませんが、なんとか就職することはできました。

会社はベンチャー企業という割にはかなりホワイトで、新卒であれば定時なれば帰れますし、何か悩みがあれば先輩も人事もかなり手厚くサポートしてくれるような会社でした。しかし、仕事内容の都合で食事の時間が定まらないことと、吃音症のため電話に対して恐怖心を抱いた僕は、電話が鳴る度にビクビクしていました。

小学校から言葉に詰まる吃音症と、高校生のときに発症した糖尿病は、社会に出てから猛威を振るいました。食事の時間が定まらないことで血糖値が安定せず、糖尿病治療の指標とも言えるヘモグロビンA1cはかなり上昇しました。そして吃音症のために電話に出られない恐怖心はストレスに変わり、糖尿病の悪化に拍車をかけました。

その結果、就職して3ヶ月半という短い期間で僕は退職をしました。短期退職ではあったんですが、人事の方のサポートもあり、問題なく退職することはできました。しかし、病気の悪化で毎週のように病院に通っていたため、医療費で給料は底をつき、貯金もできず、数日の間にマンションも引き払うことになりました…。

職なし、金なし、家なしの三重苦とはまさに僕のことでした。

このときほど人生に絶望し、自分の人生を恨んだことはありません。「なんで僕なんだ、なんで僕だけこんなにも辛い思いをしなきゃいけないんだ」と。その頃はよく泣いていました。周りに元気に楽しそうに働く友だちがいる中で、自分だけが取り残されているような感覚に陥りました。

負け組感を感じながら、僕は東京のマンションを引き払い、実家に変えることになりました。

絶望が僕に教えてくれたこと

「人生に絶望する」と聞くと、誰しもマイナスでネガティブなイメージを持つと思います。それはまさに、断崖絶壁に立ち今にもそこから飛び降りそうな感覚です。背水の陣という取り返しのつくようなイメージではなくて、すでに終っているような感覚。

でも、僕が人生に絶望したときに感じたことは、「死」や「恥」「負け」といったマイナスなイメージではありませんでした。人生をリセットするという意味では、「死」と同じなのかもしれません。ですが、僕の感じた「人生のリセット」は、「死」ではなく、すべてを失い新たなスタートラインに立たされている感覚でした。

これまでの人生は、親をはじめとして誰かによって積み上げられた自分ではない他の誰かが作り上げた人生でした。勉強も、部活も、就職も、引っ越しも誰かの助けがあってこそ成り立っていたもの。でも、それは人生の絶望とともに崩れ落ちました。

だからこそ次は、一から自分の手で積み上げるためのチャンスをもらったんだと。

このとき僕は、絶望は自分で人生を積み上げてきた、作り上げてきた人間には訪れないということを学びました。逆に、誰かに依存し、誰かの手で積み上げられた人生、誰かに敷かれた人生というレールの上を歩いている人は、必ずどこかで人生に絶望するということ、そして、一から人生を積み上げさせるための機会を与えられるということです。

なぜ絶望してからの方が、気分は楽なのか?

僕は人生に絶望し、自分の手で一から人生を積み上げていく機会を得ました。まだまだ始まったばかりですが、感じたのが前よりも今の方が気分は楽になったということです。

絶望する前、絶望中、絶望後、どの点が、どの期間が一番辛いのかは明白だと思いますが、一番楽なのは絶望後なんですよね。

というのも、絶望した後は目の前のことが当然だと思わなくなるからです。誰かに積み上げられた、作り上げられた人生は、目の前で起きることがすべて当然と思っていたはずです。でも、それが崩れ去れば、目の前で起こることは必ずしも当然ではないと気が付きます。お金は働かないと得られません。家も自分でお金を払わないといけない。これは当然のようですが、決して当然ではありません。

すべてのことが当然ではないとわかれば、それらを得ようと努力するだけなんですよね。失うものはないというのは、まさにこのことなんだと思います。だから、絶望を味わう前よりも、絶望している時よりも、絶望後自ら人生を作り上げているときが一番楽なんです。

一度お金もなくし、家もなくし、職もなくした僕にとっては、お金があることも、家があることも、職があることも当然ではなくなりました。目の前で起こることが当然じゃないって感覚を身につけられると、目の前で繰り広げられる出来事はたいてい受け入れられます。それがいくら辛い現実だろうと。

それは「どんなことでも起こりうるよね」って感覚を持つことでもあります。そして、そういった感覚が身につけば、感情の浮き沈みもなくなるので、気持ちはきっと楽になります。

絶望したときに失ってはいけないもの

絶望したあとはたしかに気分が楽です。でも、人生に絶望している間は非常に辛いです。

人生に絶望しているような状況だと、お金、職、家、人間関係、モノ、健康、大切な人などを失うものは非常に多いです。そんなとき「もう失うものは何もないから大丈夫!」っていう人がいますが、実は一つだけ失ってはいけないものがあります。それは、

です。

お金や友人、モノなどどれだけ多くの失ったとしても、命だけは失ってはいけません。たしかに失うものはこれ以上ないかもしれない、でも、だからこそ死んではならないんです。生きているからこそ、やり直せるんです!

人生に絶望もすれば、死にたくもなります。でも、何があっても死ぬことだけはやめて欲しい。きっと、あなたを救ってくれるできごとがやってきます。

さいごに

人生の絶望は味わうべきか否かと聞かれれば、もちろん味わわないことに越したことはありません。やっぱり辛いことや苦しいことは誰しも嫌だと思います

でも、絶望とも呼べる状況だからこそ考えることもあるし、体験できることも、気づくこともあると考えれば、人生に絶望することも捨てたもんじゃないなって思います。まぁ今だからこそいえることですが。

思い通りに上手く進む人生もたしかに楽しいのかもしれません。でも、僕としては、上手くいかずに躓きまくってるくらいの人生の方が楽しいと思っています(笑)人生なんてどれだけマイナスが多くても、 最後の最後にプラマイゼロか、ちょっとプラスにいたらそれでいいんじゃないかなって思っています。

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4 件のコメント

  • はじめまして。
    「絶望」とキーワードを
    入れ検索して、こちらのブログを
    拝見いたしました。

    頑張って生きてみます。

    • はじめまして!
      そういってもらえて嬉しく思います!
      楽しいことばかりじゃないとは思いますが、ぜひ生きてください!
      でも、頑張りすぎないようにしてくださいね!無理せずに生きてください。

  •  拝読させて頂きありがとうございました。私は50歳代半ばの男です。何度か読み返してみましたが、
    肝心要の『というのも、絶望した後は目の前のことが当然だと思わなくなるからです。~』の段落の意味内容が理解出来ませんでした。申し訳ありません。

    • コメントありがとうございます。
      たしかに少々わかりづらいですよね…。申し訳ありません。
      僕としては、目の前のことを当然と思うか、当然とは思わないかで、精神的なダメージが違うと思っています。
      たとえば、就職すること、できることを当然だと思っている人にとっては、就職できない事実はかなり精神的に辛いと思います。一方で、就職することが当然だと思っていない人にとって、就職できない事実は、前者ほど精神的に辛くはないと思うんです。
      目の前の事実を当然だと思わなくなることで、何か問題が生じたとしても、もう一度やり直せばいい、また一から努力すればいいって前向きに捉えられるようになると思うんです。そういった意味をあの文章では書いていました。

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