「誰からも好かれたい」という思いが自分の首を絞めてない?

「誰からも好かれたい」そんな想いは誰しも持っているものではないでしょうか?

かくいう僕もそんな想いを持っていました。「持っていました。」という表現は事実で、現在は持っていません。一部の人から好かれればいいし、一部の人から嫌われても良いと思っているのは事実です。

今回は誰からも好かれることの必要性について、体験を交えてお話しようと思います。

すべての人から好かれることはない

「誰からも好かれたい」という気持ちはたしかに素晴らしいと思います。

ですが、考えてみてください。あなたは身の回りにいるすべての人が好きだろうか?と。家族や恋人はともかくとして、友だち、同僚、取引先、親戚などすべての人が好きですか?

そんなことないですよね?

もちろん「嫌いじゃないけど…」という思いはあっても、「好きではないかな…」という人は一人や二人ではないはずです。

にもかかわらず、あなたは「自分は誰からも好かれたい」と思っているんですよ。おかしな話だと思わないですか?もちろん悪くはないです。ですが、自分がすべての人を好きになれないことと同様に、自分自身も誰からも好かれることはありません。

なので、もし誰からも好かれたいと思うのであれば、犯罪者やテロリスト、自分を傷付けた人や、自分の家族を陥れた人などすべての人を好かないといけません、そうして、ようやく「誰からも好かれる」というスタートラインに立てるんです。でも、こんなの嫌ですよね?

なら、すべての人から好かれたいって気持ちはとりあえずやめましょうか。

誰からも好かれたいという想いはその人自身と、その人の人間関係を希薄化する

僕はかつて「みんなから好かれたい」と思っていました。なので、場の空気を乱すような発言は極力控えていましたし、誰かを傷付けるとわかっていても話を合わせるなどのこともしてした。

そのため、自分というという存在を見失っていました。存在を見失った結果どうなったかというと、自分が薄っぺらくなりましたし、人間関係も薄っぺらくなりました。自分の思ったことが言えなかったり、自分のやりたいことができなかったので、ストレスも凄く感じていまし、何でも話し合えるような人間関係も形成できませんでした。

誰からも好かれようとすると、自分を出すことってできなくなるんです。嫌われないように話を合わせないとダメですし、場の空気を乱すような発言なんてできません。行きたくもないイベントに参加させられたり、旅行にもついていかないと行かないとダメなんですよ。しかも、どんどん悪循環に陥るので、気づいたときには友だちと呼べる人がいなかったり、相談もできないなんてこともあります。(僕はそうでした)

みんなから好かれたい、誰からも好かれたいって気持ちはたしかに良いことのように聞こえるかもしれませんが、自分を見失いますし。そして、後に残るのはペラッペラの自分と、ペラッペラの人間関係だけなんです。

誰からも好かれていって聞こえが良いだけで、何も残らないんですよね。ある意味残念な言葉だと思います。

好かれたかどうかは結果論

誰かに好かれたいって目的ですよね?

でも、誰かに好かれることって目的ではなくて、結果だと思いませんか?

好かれることを目的にしてしまうと、行動や言動が萎縮してしまったり、化けの皮を被らないといけなくなるので、結果としてはあんまりいい印象を持たれないこともかなりあります。

誰かに好かれるって、誰かとコミュニケーションとったり、一緒に過ごした結果、その相手が「この人気が合うかも」とか「この人となら仲良くなれそう」ってことだと思うんですよね。

好かれる好かれないなんて結果論だってわかると、誰かに好かれるための発言をすることも、好きでもない人が喜ぶための行動を取ったりすることもなくなります。その結果、好いてくれる人は近くにいてくれますし、好いてくれない人はどっかにいってくれるんです。

人間関係って、それで良いと思うんですよね。わざわざ気が合わない人と一緒にいる必要はありません。一緒にいなきゃいけないときもありますけど、一緒にいなくてもいいならそれに越したことはありませんよね。

好かれる努力より、自分を出す出す努力

さっきも書いたんですが、好かれようとしても好かれるかどうかは結果論です。でも、自分を出すことをすると自分のことを好いてくれる人、気に入ってくれる人が寄ってきます。そして、誰かを傷付けていない限り、自分を傷付ける人は寄り付かなくなります。

そして、自分を出すということは、素直になるということ、正直になるということなんです。自分が好きなことをとことんやることもそうですし、自分の嫌いなことはやらないだったり、行きたくもない飲み会やら誘いを断ることもそうですね。やりたいことをやる。そして、やりたくないことは誠意をもって断るということが、僕は自分を出すことだと思います。

最初から自分を出すことはめちゃくちゃ難しいです。というよりも恐いです。僕も最初から誘いを断るのは気が引けましたし、「嫌われたらどうしよう…」「誘われなくなったらどうしよう…」って思っていました。

でも、それで嫌われたり、誘われない程度の人間関係ならその程度だって思ったんですよ。それに、それでも僕のことを好いてくれてて、誘ってくれる人もいるんです。彼らを大切にするべきですよね?馴れ合いで付き合っている人よりも、断っても誘ってくれる、断っても許してくれるくらいの仲の方が人として付き合いやすいと思うんですよね。もちろん、断るときはちゃんと理由を言うべきですし、そこには嘘偽りを挟まないことが大切ですが。

さいごに

誰からも好かれたいって誰しも思うことですよね。でも、それで自分を見失ってしまったり、ストレス溜めてしまったり、希薄な人間関係を形成してもたぶん楽しくないんですよ。僕は楽しくなかったです。

だから、「誰からも」ではなくて「一部の人から」好かれればいいかなぁって思うようになったんですよ。人生って一度きりですし、どうせなら楽しみたいじゃないですか。だったら、誰からも好かれる必要なんてないかなーって。

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