劣等感を克服する必要のない理由と上手な付き合い方について

劣等感と聞くとどのようなイメージをお持ちでしょうか?

誰かよりも劣っているため、ネガティブでダメなイメージでしょうか?いや、僕はそんなこと思ってませんよ!むしろ、良いイメージを持っています。劣等感というと克服しないとダメな感じがしますが、そんなことありません。

劣等感は克服して消し去るような感情ではなくて、上手く利用して人生を楽しくするためのものですよ!

劣等感とは?

とりあえず辞書的な意味はこんな感じです。

れっとう‐かん【劣等感】

自分が他人より劣っているという感情。インフェリオリティーコンプレックス。「―を抱く」⇔優越感。

(引用 コトバンク

なので、誰かから与えられたレッテルではなくて、誰かよりもできていない自分に対して自ら貼ったレッテルということです。

また調べていると、次のようなことも書いてありました。

劣等感とは、過去に周囲から「低い評価」を受け、その苦しみに耐えられなくなり、自分もその評価に降伏することで作られます。
「そうだよ。どうせ私は○○だよ」と認めた瞬間に、劣等感は完成するわけです。

(引用 あたなの戦闘力を解放しよう ヤギコーチ)

これは自ら貼ったわけではなくて、他人が貼ったレッテルにひれ伏した結果という感じです。

どちらが正しいのかというと難しいところですが、劣等感を一つの感情だとするならば、前者の意味の方が正しいと思います。つまり、劣等感というのは、周りからの評価に対して自らひれ伏した結果ではなくて、自らが誰かよりも劣っていると感じてしまった結果生じてしまう感情ということです。

劣等感はどこから生まれる感情なのか?

劣等感は、周りから貼られるレッテルではなくて、自ら貼るレッテルです。そのレッテルはどこからやってくるのでしょうか?

僕は二つのシチュエーションが「劣等感」を生み出す原因だと思っています。

できない自分とできる誰かを比較したとき

一つ目はよくあるシチュエーションだと思います。

何か新しいことをはじめるとよっぽど才能がない限り上手くできませんよね?でも、周りにはできる人がいます。

たとえば、水泳を習いはじめたとしましょう。(僕が習っていたので)

今でこそクロールからバタフライまで泳げるようになりましたが、はじめはカナヅチで、水が怖くて、プールに入るのすら嫌でした。「スイミング」というワードを聞けば泣くほどでした。

プールに行けば、自分より上手い人しかいなくて、水を怖がっているのなんて僕一人です。劣等感を感じずにはいられませんよね?むしろ劣等感を抱かない方がおかしい状況です。

このように、水が怖くてカナヅチで泳げもしない自分と、水も怖くなくて楽しくスイスイ泳げる誰かを比較したときに、劣等感って感じるんですよね。

できる自分とそれ以上にできる誰かを比較したとき

次は、ある程度できるようになった時の話ですね。

受験でも、仕事でも、習い事でも、ある程度上手くなると楽しくなったり、嬉しくなりますよね。でも、上には上がいるということを知ることにもなるんです。

受験だとわかりやすいでしょうか?

偏差値が40くらいの人が、めちゃくちゃ勉強して偏差値60くらいになったとします。かなり勉強したと思いますし、凄いことなんですよね。で、偏差値上がったので上機嫌になるんです。でも、模擬試験とか学校内のテスト、いざ受験するとわかるんですが、上には上がいるんですよね。

偏差値60なんてゴロゴロいますし、偏差値20とか30から偏差値70になる人だってそれなりにいます。自分が井の中の蛙だったと教えてくれるんです。もちろん、比較しなければいいだけのことですが、比較してしまいますよね。自分ががんばったのに、上には上がいたんですから。

こういうある程度できるようになったときに、まだまだ自分よりも上がいることを知ったときにも劣等感は感じます。

劣等感は妬みや僻とは違う

劣等感というと、引き合いに出されるのが妬みや僻(ひがみ)だと思います。

ですが、この二つはまったく違うものだと思います。簡単に言えば、劣等感はプラスの効果をもたらし、妬みや僻はマイナスの効果をもたらします。

劣等感を感じているってことは、「できるようになりたい」とか「もっと上手くなりたい」ってところから発生しているんですよね。なので、誰かを傷付けるというよりも、それをバネに頑張りたいって思えたが故の感情なんです。

一方で、妬みとか僻は、プラスの作用もなければ、人を傷付けたり、自分自身を傷付けることさえあります。妬みとか僻は、自分ががんばろうという気持ちよりも、誰かを引きずり落とそうという感覚に近いです。なので、プラスの効果なんてあるはずがありませんよね?

なので、劣等感と妬み・僻は明らかに違う感情なんです。

劣等感は克服するための感情ではなくて、上手くなるために必要な感情

劣等感を克服したい人はたくさんいますよね?でも、劣等感って意外と大切な感情なんですよね。だって、「できるようになりたい」とか「もっと上手くなりたい!」っていう感情からきているんですよ。克服したり、消し去ったりするべき感情というよりも、上手く利用して更なるレベルアップのために使うべきだと思わないですか?

それに劣等感を持たない人と持っている人では、その対象にしての思い入れが違います。たとえば、元々絵が上手い人と絵が下手だけどうまくなりたい人って、絵に対する思い入れは違いますよね?もちろん絵が元々上手い人は思い入れがないわけではありません。ですが、下手だった人の方が、より絵に対して「どうすれば上手くなるのか?」「上手い人は何が違うのか?」「上手くなるためには何が必要なのか?何が足りないのか?」ってめちゃくちゃ考えるんですよね。

なので、劣等感を持っている人の方が、持っていない人よりも上手くなることが多いんですよね。劣等感は、決して克服するべき感情ではないんです。むしろ、上手くなるために与えられた必要な感情なんですよね。

劣等感を持って強くなった人は教えるのが上手い

できるというところからはじまるのではなく、できないところから始まっているので、自分の弱さや非力さを知っています。

人間は自分が簡単にできてしまうことが、周りができないと、天狗になったり、周りを見下した感じになることがあります。それは、その人にとってできて当たり前のことが、周囲ができないことに対する過信や慢心です。その為、誰かに教えることは難しいです。できて当たり前ですからね。なぜできないのかが理解できないんですよね。

ですが、劣等感を持っている人は、できない自分、他より劣っている自分を知っています。なぜできないのか?何が原因で上手くいかないのか?などよく知っています。それが他の人にも通じることを知っています。もちろん、同じことをしても上手くいかないことも知っているので、教える人にとって最適な解を出せるんですよね。教え上手なんです。

たまにこういう人をよく見ます。

自分ではまったく結果は出せないかった。けど、教える立場になると、その人の教え子がめちゃくちゃ凄い結果を出してしまう。

スポーツによく見られますが、どの分野でもあると思います。これも結局劣等感からきているんですよね。自分が全然ダメだったから、周りのできる人をよく観察してたり、どうしたら上手くいくかを知っているんですよね。ただ、自分ではやるには遅かったり、行かせる状況ではなかっただけ。で、その知識とか経験を誰かに伝えた結果、その教え子は上手くいくってことです。

さいご

「劣等感=ダメ」みたいな感じはなくなりましたか?劣等感は克服する必要なんてないんですよ。克服してしまって、消し去ってしまうと、そこで成長はストップしてしまいます。

もちろん、無理に劣等感を持つ必要はありません。ですが、劣等感を無理に捨て去る必要もありません。

劣等感くらい持ち合わせてるくらいの方が、きっと人生も楽しいですよ!

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