【自己分析】「社会不適合者かも…」という悩む人の8つの特徴とその悩みを乗り越えるために必要なこと

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僕は、「自分は社会不適合者かもしれない…」と悩んでいた時期がありました。僕と同じような悩みを持つ人は世の中に大勢いると思っています。

就職活動が上手くいかなかったり、人間関係で人とどう接していいのかよくわからない、仕事で誰かに迷惑をかけてしまったり、チームで何かを成し遂げたりすることが苦手などを自分のことを社会不適合者と考えてしまう理由はたくさんあります。

僕は、自分が社会不適合者とは思っていません。ただ、以前の「社会不適合者かも…」と悩んでいた自分を分析してみたり、周りのそういった悩みを持つ人を見ていると同じような特徴があることがわかりました。

今回は、自分のことを「社会不適合者かもしれない…」と悩む人の特徴を挙げるとともに、僕がその悩みを乗り越えた考え方について書いていこうと思います。

社会不適合者とは?

まずは言葉の意味から、

社会不適合者とは、一般社会の要求に応えて生活することが困難な者のことである。
日本社会においては、空気を読んで、他者とコミュニケーションを取る必要があり、空気が読めない人間は、社会不適合者であることが多い。社会不適合者は何か特別な才能がない限りは一般企業の社員、又はアルバイトとして働くことが困難である。

ニコニコ大百科より引用)

という感じです。

いろいろと書いてありますが、一言で言えば「周りになじめない人」ということ。仕事やサークル、バイト、ゼミ、友人関係、スポーツ、冠婚葬祭など、いろいろと人と関わる機会はいくらでもありますよね。その都度孤立してしまったり、コミュニケーションが取れなかったり、馴染めない人のことを、辞書的、ひいては社会的には「社会不適合者」と呼ぶということです。

ただ、ここで一点だけ補足することがあるとするならば、「社会不適合者=ダメ人間」ではないということです。というのも、社会に応えて生活することが困難なだけなので、人としてダメなわけではないんですよね。そのことだけは覚えておいた方がいいと思います。

誰がどうやって「社会不適合者」と決めるのか?

個人的に、一番気になっているのは、自分も含めて誰が「お前は社会不適合者だ」と決めているのでしょうか?

世の中を見渡しても、ある特定の人間関係において馴染めない人はいても、すべての人間関係において馴染めていない人なんていないと思います。同僚と馴染めないけど、友だちはたくさんいるという人もいれば、友だちはいないけど、会社ではうまくやれているなんて人もいるでしょう。

以前悩んでいた僕は、誰かが決めていると思い込んでいたんですが、実は、自分で自分に対して「(僕は)社会不適合者だ!」とレッテルを貼っているんですよね。

周りに馴染めない、コミュニケーションが上手くできない、友だちが少ない、イベントに呼ばれない、飲み会に誘ってもらえないなど、人間関係の悩みはいろいろありますが、どれかに、またはどれもに酷いコンプレックスや悩みを持っているために、「社会不適合者かもしれない…」と悩んだり、そう思うことで安心感を得ているんだと思います。

「社会不適合者かも…」と悩む人の8つ特徴

「自分は社会不適合者かも…」と悩んだり、そう思うことで自分に安心感を得ている人には、同じような特徴があると思います。

ここでは、過去の僕自身や周りで同じような悩みを持っていた人たちを分析してわかった「社会不適合者」の特徴について書いていこうと思います。

真面目過ぎる

真面目といってもいろいろな真面目があると思いますが、ここでいう真面目は、「人生はこうでないといけない」と決めつけている人です。

たとえば、高校を卒業したら大学に進学するのが当たり前。大学を卒業したら、どこかに就職するのが当たり前。就職するなら、公務員か大手企業が良いと思っている。結婚するのが普通で、子どもを持つのが普通。努力していれば、いつか報われるんじゃないかと思っている。

別に悪いことではありません。ですが、この考え方が曲げられないことが、返って自分の首を絞めていて、そしてレールから外れてしまうと「(私は)社会不適合者かもしれない…」と悩んでしまうわけです。

こだわりを押し付けてしまう

こだわりが強いことは別に良いと思っています。「パソコンはMacじゃなきゃダメだ!」「時計や服はブランド物」「大学は国公立大学か早慶だ!」などなど。それ自体は別に良いんです。個人の勝手ですし、それを否定するつもりもありません。かくいう僕にもこだわりくらいありますから。

でも、その自分のこだわりを誰かに押し付けてしまうことが問題なんです。その結果、周りから煙たがられ、人間関係が上手くいかなくなってしまうんですよね…。それで「僕は(私は)社会に馴染めない…」と悩むわけです。

疑い深い(人間不信とも言う)

自分を社会不適合者だと思っていた頃の僕は、正直誰も信じていませんでした。ことあるごとに「それってホントなの?」「これを信じていいのだろうか?」と思ってばかりいました。

これって「懐疑的」と言えば聞こえはいいですが、懐疑的って疑いながら見たり考えたりしているだけで、相手のことは信用していないわけではないですよね?

ですが、ここでいう「疑い深い」はそういう懐疑的という感じではなくて、自分以外を信用していないという感じです。そういった態度って言葉や行動に表れるので、周りの人はどんどん離れていきますね。

その結果、「僕は(私は)嫌われている…社会不適合者かもしれない…」と悩んでしまうわけです。

周りを気にし過ぎる

周りのことを気にしないという人もそうですが、一方で周りを気にし過ぎるという人にも自分のことを「社会不適合者かもしれない…」と悩んでいる人がいます。

周りのことを気にし過ぎるが故に、「こんなことをしたら変に思われないかな…」「こんなこといったら嫌われないかな…」と悩み過ぎて、発言できなかったり、行動できなかったり、自分を萎縮させてしまいます。

その結果、「自分は行動力がない」「発言したくてもできないダメなやつだ」と自分のことを過小評価してしまい、社会に上手く馴染めないようになってしまうということです。

たしかに周りのことを気にすることは大切です。誰かを傷付けるような発言や行動はするべきではないです。ですが、それで自分の首を絞めてしまっていてはもともこもありません。

集団行動ができない

「右にならえ」ができないのも、特徴の一つだと思います。正直小さい頃は「みんなと違う方がいいじゃん」と、僕も思っていました。

思ってるだけ、集団行動ができないだけなら、まだ周りも許してくれると思うんですが、「はぁ?なんで一緒にしないといけないの?」的なやや上から目線な態度を取ってしまう人も中にはいるんですよね…。(過去の僕を殴りたい…)

集団行動ができず、集団行動をしている人やその行動をバカにしてしまう結果、周りに人がいる。これも自分のことを社会不適合者だと悩む人には多い特徴だと思います。

嫌なことを断固としてやりたがらない

好き嫌いは誰でもありますが、社会不適合者と悩む人の中には「なんで嫌いなことをわざわざしないといけないの?」「なんで好きなことだけしてちゃダメなの?」と思っている人が多いです。かくいう僕もそうでした。

ただ好きなことだけで食べていけるだけの力量や才能があれば、問題はありませんし、そもそも自分を社会不適合者なんて思いもしません。ですが、そんな力もなく、会社に属したり、誰かに頼らないといけない状態で、ただ自分のわがままで「嫌なことはやりたくない」という人に、誰も寄り付きませんよね?

もちろん、そんな人には誰も仕事は任せてくれませんし、信用なんてされるはずもありません。

「誰も私(僕)のことを評価してくれない」と嘆く

就活にしても、会社での評価にしてもそうですが、社会不適合者と悩む人は自分のことを評価してもらえないと嘆きます。もちろん、そういう人に能力や才能がないと言っているわけではありません。

ですが、「誰かに評価される前に、評価されるだけのことをしたのか」をきっちり考えないといけません。

誰かに評価してもらうためには、それなりにやることをやって、成果や結果を出さないといけないんですよね。そのためには、やりたくないこともやらないといけないし、嫌な人とも付き合わないといけないと思います。

自分のことばかりを考えてしまうことは誰でもあります。ですが、何もやってない、やりたくないことはやらない、人をバカにしていては、評価なんてされません。まずは、自分の意思や行動を変える必要がありますよね?

失敗を極度に恐れている

「失敗ってダメなことだよね…」と考えている人は、日本にはまだまだ多いです。そして、「失敗してしまうこと=ダメ人間=社会不適合者」と考えてしまう人も少なくありません。特に、受験や就職活動で上手くいかない人に多い印象です。

失敗をどう捉えるのか?というのは、人それぞれですが、失敗は決してダメなことではありません。誰だって何か新しいことをすれば、多くの場合失敗します。失敗しない人の方が少ないくらいです。

にもかかわらず、「失敗=ダメなこと」と考えてしまい、行動が消極的になってしまう。その結果、「自分は何もかもできない人間なんだ」「自分は無能な人間なんだ」「自分は世の中に必要ない人間なんだ」と考えてしまう。そして、自分に対して社会不適合者というレッテルを貼ってしまうんですよね。

僕が「社会不適合者」というレッテルを拭い去ろうと思った理由

理由は主に二つあります。

  • 自分だけが悩んでいるわけじゃないと知ったから
  • マイナスな言葉で自分を表現するべきではないと思ったから

という感じです。

まず、一つ目の「悩んでいても苦しいだけだと感じたから」について説明すると、そもそも人生って辛いもんだし、苦しいものだと思うんですよね。そう考えると、自分だけが悩んでいるんじゃないんだよなって思えたんです。

みんな何かしら悩みがあって、辛さを感じていて、でも、なんとかやりくりしている。それを見て、「何で自分一人だけが辛い思いしてるとか、悩んでるとか思ってんだろ?」ってある意味開き直れたんです。

だったら、そんな自分に「社会不適合者」なんてレッテルを貼って、安心感とか安堵感を味わうよりも、拭い去って前に進もうって思ったんです。

そして、自分をわざわざマイナスな言葉で表現しても意味ないなーって思ったんですよね。そうやって表現することによって、ますますそうなっていくと思ったんです。どこか具合が悪いと思ったら、具合が悪くなるのと一緒で、自分のことを社会不適合者って言えば、どんどんマイナスの方向に向かっていくんじゃないかと思うんです。

だから、もうそんな無駄なレッテルは拭い去ろうって思ったんです。

「社会不適合者」というレッテルを拭い去るまでにやったこと

やったことはまとめると「ありのままの自分を受け入れること」と「ありのまま周りも受け入れる」ということです。まさに「言うは易く行うは難し」とはこのことだと思います。

ありのままの自分を受け入れることの難しさは以下の記事に書いていますが、めちゃくちゃ難しいです。自分が得意なことや自分の好きな部分は受け入れることは容易です。でも一方で、苦手なことやできないこそ、嫌いな部分、コンプレックス、病気、過去の失敗なんて、そう簡単に受け入れられません。むしろ、忘れ去りたいくらいです。

でも、できない自分をありのままに受け入れないと前には進めないんですよね。というのも、できないことを認める、受け入れるというのは、逆を言えば自分のいいところを再認識することでもあるんです。

ありのままの自分を受け入れることはまだまだできていませんが、できなくてもいいや、苦手でもいいやって割り切れて、そんな自分も好きになると、社会不適合者なんてレッテルを貼っていた自分がバカバカしくなりました。

さいごに

僕は、社会不適合者という言葉はあっても、社会不適合者と呼べるような人は誰一人いないと思っています。もし、どこかに社会不適合者と呼ばれる人がいるなら、なぜその人は生まれてきたのか?わかりません。

この世に生まれてきたということは、人間であろうと、動物であろうと、植物であろうと、何でも何かしら意味があると思うんですよ。そして、その意味は今は見えていなどこかではなくて、自分の中にあると思うんです。

それはありのままの自分を受け入れるからこそ見えてくるし、周りの状況や人を受け入れるからこそたしかなものになってくるんだと思います。

社会不適合者だと自分を蔑むことは簡単です。でも、そうやって自分をダメにしないで欲しい。ぜひ、自分を大切に、人生を楽しんでみてください!

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