「それ常識だよ!」って言葉が一番非常識だと思う。

「これくらい常識だろ?」とか「こんなことも知らないの?」って“常識”を押し付けてくる人が僕は非常に嫌いです。“常識”って言葉を使えば、自分の方が知識があるとか、博識だって思っている人もそれほど好きではありません。

“常識”を知らない人のことを巷では“非常識”と言いますけど、僕からしたら「それ常識だよ!」とか「これくらい常識だろ?」って言っている人の方が“非常識”です。人のことをバカにしてる時点で“非常識”だと思います。

一般的な“常識”の定義。

ということで、“常識”をググってみましたところ。

常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている。価値観、知識、判断力のこと。[要出典]また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。対義語は非常識(ひじょうしき)。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。

Wikipediaより引用

要するに、社会人なら知ってて当たり前のことを“常識”というそうです。

社会人なら当たり前って、何を基準に当たり前ってことなんでしょうか?社会人1年目と社会人10年目では、当たり前の基準って違うと思うんですよ。できることも違いますし、経験ももちろん違う、考え方だって違う。

個人的な“常識”の解釈。

僕は“常識”という言葉があまり好きではないので、少し偏った解釈になります。

“常識”とは、人の生きてきた証であり、経験そのものである。そのため、人によって“常識”とすることは異なる。一般的に“常識”という場合は、すべての人の“常識”を平均化したものに過ぎず、“常識”という言葉で人を見下すことはできないし、人を判断することはできない。

要するに、“常識”って人によって違うよねってことを言いたいだけです。

なので、美容師には美容師の“常識”がありますし、芸能人には芸能人の“常識”があるわけです。職業によっても、出身地によっても、ライフスタイルや性別によってもまったく違うんですよ。“常識”ってやつは。なので、安易に「“常識”がない!」なんて口が割けても言えないはずなんですよ。

自分の“常識”を押し付けるのは“非常識”。

僕は会社勤めしているときにこんなことを言われたことがあります。

  • 「ナカムラさんって本読んだことある?自分の日本語おかしいのわからない?日本人としての常識ないの?」
  • 「メールの常識ってわかる?これじゃ相手をバカにしてるよね?」
  • 「先輩への口の聞き方がなってない。常識ないんじゃない?」

などなど。“常識”という言葉を使ってバカにされまくりました。僕に暴言というかこういうことを言ってくる先輩と、僕の“常識”はまったく違うんですよね。それを「“常識”ないの?」って言葉で批判するのはおかしな話です。

逆にいうと先輩としての立ち振る舞いとしては、僕の“常識”からは外れてるので、この先輩も僕からしたら「“常識”がない」人なんですよ。でも、そんなことは言わないですよ。それはあくまでぼくの中の話なので。

あることについて自分が知っているからといって、他の人が知らなくても「“常識”がない」なんて言葉で片付けちゃダメだと思うんですよ。知らないのは、見たことも聞いたことも接したこともないからなんです。知るはずがないじゃないですか。マンガ「ONE PIECE」を読んだことのない人は、「ONE PIECE」を知らなくて当たり前なんです。

自分の“常識”を誰かに押し付けることは“非常識”な行為なんですよ。

誰だって、経験したことのないことを知ってるはずがないんですよ。“常識”を押し付けてる人も、その“常識”を経験するまでは知らなかったはずなんです。自分がその“常識”を知ったからって、他の人をバカにするのは“非常識”極まりないです。

“常識”という言葉は、凶器になる。

「“常識”がない」って結構人を傷付ける言葉だと思うんですよ。肉体的な痛みはないんですけど、心に傷を負うことだってあるんです。平然と「“常識”がない」って口にする人いますけど、これホント凶器です。

「“常識”がない」って言葉で自殺に踏み切ったり、引き蘢ったりする人は少ないと思いますけど、結構辛いんですよ。もう自分の人生とか経験を否定された感じしかしないんですよ。それだったら「無知だねぇ〜」って言われた方が良いです(笑)

「“常識”がない」で片付けないためには。

自分も知らなかったことや“常識”がなかった時代を考えてみることでしょうね。あとは、自分にも知らない“常識”があるってことを知ることです。

誰にでも知らないことはあります。それを「“常識”がない」って言葉だけで片付けてしまって、その人をダメにするのはもったいないです。そのダメになった人からも学べることはたくさんあっただろうに。「“常識”がない」って言葉を多用する人はとりあえず自分も「“常識”がない」ってことを自覚するべきですね。

さいごに

なんで人はひとりでは生きていけないのか考えると、「“常識”がない」なんて言葉は使うはずがないんですよ。

だって、自分の知らないことを知っている人がいて、自分の知ってることを知らない人がいるから情報は行き来するわけですよね?じゃなかったら、みんながすべてのことに精通している世界だったら、ニュースサイトも新聞も、テレビもいらないはずなんです。

でも、実際にはニュースサイトも新聞も、テレビも存在してるんですよ。

「“常識”がない」なんて言葉で人をバカにする暇があったら、自分の知らないことを少しでも知れるように努力した方がいいんじゃないかなぁ?少しバカくらいの方が絶対人生楽しいよねって思うのは「“常識”がない」って言ってる知識ありそうな人をみたときだなぁ。

6 Comments

ssk

この記事を書いていただいてありがとうございます。私は長年この事を親から言われ続けてきましたが、いまだに疑問でした。
私だけでなく多くの方が悩んでいたのは驚きです。

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yuki

コメントありがとうございます。
少しでもお役に立つことができてよかったです!

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yasu

私も嫁にあんたは常識がないのよと常々言われてます。
なんかホッとしました!笑

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yuki

そうなんですね笑
そう言ってもらえると、書いて良かったと思います。ありがとうございます。

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あみ

なんだか心が落ち着きました。
非常識って言う側もその人なりに何かの価値観や美学を守りたくて頑張ってると思うので否定はしません。ただ、本当に広い視野を持っている方は、自分が正しくないかも知れないという可能性も知っていたり、正しい/正しくないでは計れない世界があることを分かっていると思うので、他者を無用に傷つける”非常識”の烙印を押すことはしないと思っています。
常識とか非常識って言葉で淘汰し合う人間関係に最近疲れていましたが、もっと優しい世の中にしていきたいですね。
素直な文章で、心に沁みました。
ありがとうございました!

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yuki

あみさん
コメントありがとうございます!
素敵な文章なんてとんでもないです!
もっと優しい世の中にしたいものですね。
優しさも人によって違いますし、優しさの押しつけにならないように気をつけたいものです。
ありがとうございました!

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